消防精神


 天が裂けようとも地が崩れようとも驚きもせず、 大火になろうとも台風大雨がこようとも何で躊躇(ためらう)うものか 消防はこんなときにこそ勇敢で慌てず、すばやく活動することができるのだ。 消防はこんなときに役割を発揮しないと何時出来るか これが消防のモットーであり、即ち、人の心理とするものであり、これが消防の大精神である。


  消防精神は漢詩として残されている。 漢詩の作者は「松口月城」である。 本名は「松口栄太」職業はドクターである。吟詠愛好家の人はほとんどが知っている。 月城先生は、明治24年4月1日生まれ、数々の功績を残し、昭和56年7月16日96年の生涯を 閉じられた。


 消防精神の漢詩はいつ頃どのような気持ちで作られたかである。 昭和20年6月19日、4トントラックで382台分の焼夷弾が落とされた福岡大空襲により 福岡市は全戸数の四分の一を焼失し、被災者5万6千人を超える被害をうけた。 その時の消防の活動を目のあたりにした月城は消防の立派な行動を褒め称えた。 消防は火事や大雨などの災害のとき、住民と一体となって災害活動に立ち向かい、特に、警防団(消防団) は自分の仕事を持ちながらわれを忘れて見を挺して勇敢に災害に立ち向かい、その有様は、当に、 弱きを助け強きを挫く、おとこ気、男だてであり、なんと頼もしいことかと口癖のように言っていた。 月城氏は地域において多くの役職をしており消防に対する強い思い入れがあったようである。


 この漢詩を書くきっかけは、前述の想いと戦後まもなく、出会った一人の人物がいる。 昭和20年に八幡消防署、昭和22年から福岡市消防署に兼務していた福岡県警の山根政雄警部 (当時、官設消防にあり消防担当)が自治体消防となる消防のために「消防精神」を吟詠してほしいとの 山根警部の強い懇望によって書かれたものである。